学校紹介

建学の精神

建学の精神

人間尊重の精神
人間は誰もが、無限の可能性を持ったかけがえのない存在であり、1度きりの人生を過ごしている。
個性尊重の教育
「よく見ればなずな花咲く垣根かな」(芭蕉) 道端に咲く小さな雑草でもじっくりとよく見れば、他の花と比べようがない独自の美しさがある。
第三教育
親からの教育、学校での教育、を卒業しても自分で自分を教育すること(本校ではこれを第三教育と呼びます)は生涯を通じての学びとなります。
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建学の父 故 古賀米吉の思い

故古賀米吉先生は、明治二十四年福岡県に生まれ、二十歳の時に郷土の小学校代用教員として教職に就かれました。
昭和十二年、市川学園の創設に参加し、市川学園の校長として学校づくりに専念されました。
昭和十八年、本学園の創立者故賀川宣勝先生と共に船橋高等女学校の財団法人化に奔走され、昭和二十年に同校の校長に就任されました。
その後、市川・船橋両学園の理事長、中高校長として学園発展のためご尽力され、昭和五十八年に逝去されました。

ふとしたきっかけで、私は教員になりました。以来五十余年、二、三の学校に進学はしましたが、いまだに教師の生活を続けています。花を育てる人が、やめられないといいます。私もまた、人間の苗を育てるこの仕事を、やめられないでいます。
また、私を感激させたことは、幼児の世界、児童生徒の世界を見ておると、おのずと仲よしの世界ができてゆくことです。競争をしながら、自己を主張しながら、いつか譲りあい、愛しあっています。これもまた、人間の本性というものでしょうか。独自無双の個性が、共鳴同感しあう子供のしぜんの世界を見ると、面白く美しく、つい生涯ひきつけられるようなことになりました。

君は君、我は我也、されど仲よき 実篤

この句を、私は意味ぶかく読みとっているつもりです。 わが学園から、万一、わが身をふりかえり、数ならぬ身と思うような人を出したり、異常な競争のために、友情を見失う人を出したりしたら、それは苗作りの方で、背負うべき罪でしょう。

苗作りの心得第一条を、芭蕉のような眼で、生徒をよく見ること、実篤のような態度で、人間の本性を信ずること、だと私は思っています。私の願いは、わが学園に学ぶ子供たちが、己れの持ち味を、いついつまでも存分に伸ばしていってくれること、そして周囲の人々を、自分同様かけがえのないものと見て、これを敬し愛して仲よくつきあってくれることです。自分自身を伸ばすことによって、世のため人のためになる人、世の中の隅っこでけっこう、どっしり根をおろして、肩身ひろく睦まじく世を渡る人、そういう人に、この学園の苗が、成長してゆくことを、私は願っています。

船橋学園同窓会編「楽しい学校」より

人は親から教育を受ける。次に教師から教育を受ける。いま一つ人は自分自身から教育を受ける。自分自身からの教育は、昔から注目されたことで、独学とか自学とかいわれてきた。ここにいう自分自身からの教育はもっと重大な意味をもたせたつもりで、いわば教育の三本の柱の一つ、いや一番大きな柱、基本になる柱とさえ思っているものである。かりにこれを『第三教育』と名づけておく。

いずれ親は亡くなり、学校とも縁が切れて、第三教育だけが残る。自分自身をどう育ててゆくか、どう処理してゆくか。かくて身につけた第三教育は、燈台となり羅針盤となる。それどころか、質のよろしい第三教育は、進歩発展してとどまるところがないのである。 どんな家庭教育を優秀なものというべきであろうか。それは、すぐれた第三教育を進めた家庭教育をいうべきであろう。どんな学校教育を、優秀な学校教育というべきであろうか。それは、質の上からも量の上からも、すぐれた第三教育を促進した学校教育こそ、優秀非凡な学校教育というべきであろう。

古賀 米吉 「楽しい学校」より

校歌