人は親から教育を受ける。次に教師から教育を受ける。いま一つ人は自分自身から教育を受ける。自分自身からの教育は、昔から注目されたことで、独学とか自学とかいわれてきた。ここにいう自分自身からの教育はもっと重大な意味をもたせたつもりで、いわば教育の三本の柱の一つ、いや一番大きな柱、基本になる柱とさえ思っているものである。かりにこれを『第三教育』と名づけておく。
いずれ親は亡くなり、学校とも縁が切れて、第三教育だけが残る。自分自身をどう育ててゆくか、どう処理してゆくか。かくて身につけた第三教育は、燈台となり羅針盤となる。それどころか、質のよろしい第三教育は、進歩発展してとどまるところがないのである。 どんな家庭教育を優秀なものというべきであろうか。それは、すぐれた第三教育を進めた家庭教育をいうべきであろう。どんな学校教育を、優秀な学校教育というべきであろうか。それは、質の上からも量の上からも、すぐれた第三教育を促進した学校教育こそ、優秀非凡な学校教育というべきであろう。
古賀 米吉 「楽しい学校」より