東葉高校校門の由来
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東葉高校の敷地は、江戸時代に
上飯山満村の名主であった
近藤家の屋敷跡である。
近藤喜久司氏のご好意で同校が譲り受け、
その際に長屋門を寄贈していただいた。
東葉高校の敷地は、江戸時代に
上飯山満村の名主であった
近藤家の屋敷跡である。
近藤喜久司氏のご好意で同校が譲り受け、
その際に長屋門を寄贈していただいた。
東葉高校の敷地は、江戸時代に上飯山満村の名主
であった近藤家の屋敷跡である。
近藤喜久司氏のご好意で同校が譲り受け、
その際に長屋門を寄贈していただいた。
上飯山満村は幕府直轄領と数名の旗本の知行地で、
それぞれに名主がいたが、幕末期には
近藤四郎左衛門が名主惣代を務めている。
上飯山満村は小金五牧と称する幕府直轄の牧場に
接しており、四郎左衛門は牧士にも任ぜられている。
小金五牧とは上野牧、高田台牧、印西牧、中野牧、
下野牧をいい、現在の柏、松戸、鎌ヶ谷、船橋、
習志野、八千代、千葉などの各市域に及ぶ広大な
もので、古来から生息する千頭ほどの野馬が
自由に駆け巡る原野であった。
また牧場は、将軍の鹿狩りや鷹狩りの場でもあった。
画像引用元:
船橋市デジタルミュージアム内「習志野原及周回邨落図〔陸軍作図〕」
https://adeac.jp/funabashi-digital-museum/viewer/mp007690-100020/90300062/
船橋市デジタルミュージアム
https://adeac.jp/funabashi-digital-museum/top/
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一八四九(嘉永二)年の一二代将軍家慶の鹿狩りでは
四郎左衛門の活躍が伝えられている。
牧士は野馬奉行の配下で、牧場の維持、管理を
任され、幕末期には小金五牧で二七家あり、
百姓身分でありながら、帯刀、乗馬、鉄砲所持が
許される武士身分でもあった。
村人から殿様と呼ばれた四郎左衛門の権力と財力の大きさが、
時代劇の撮影にも使われたという長屋門からもしのばれる。
第二次世界大戦後の農地改革で近藤家が手放した農地は、
百二十町歩であったという。
なお、この門にかかげられている「東葉門」の扁額は、
日本書壇の大家、木暮清風氏の遺作となってものであり、
刻は那須大卿氏である。